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復刻 私立スプリング予備校  ばねや金属材料、製造方法など、あらゆる技術資料を1話完結型で掲載しています。

ホワイトペーパー

株式会社アキュレイトの技術顧問を務めてくれた渡邊信一先生が昭和40年初頭に新聞記事として連載していた「ばね、スプリング、金属材料」に関する技術資料です。

昭和40年代の工業規格や表現描写もそのままに、なるべく原文のまま復刻いたしました。
当時の時代風潮を懐かしく、また、親しみを感じていただければと思います。

このカタログについて

ドキュメント名 復刻 私立スプリング予備校  ばねや金属材料、製造方法など、あらゆる技術資料を1話完結型で掲載しています。
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表紙1

復 私 立刻 ス プ リ ン グ 令 株和 式四 年 会 予 七 社月 ア 備 キ ュ レ 校 イ ト 編 集 発 行 版
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表紙1裏

はじめに この私立スプリング予備校は昭和40年初頭にとある新聞で連載された記事が基となって います。それ故に当時の工業規格で表現されています。また説明に用いられる表現描写も 現代風の解釈をすれば、少々そぐわないと感じられるかもしれません。 しかしながらオリジナリティを尊重し、当時の風潮を懐かしく、または親しみを感じて頂 ければと思い、なるべく原文ママで復刻いたしました。予めご了承願います。 なお、当社WEBサイトで最初に連載を始めたのが2008年頃でありまして、その意味では 今回は復刻の復刻となりますでしょうか。 新聞社に寄稿されていた渡邊信一さんは、縁あって当社の技術顧問にお越し頂きました が、ばね・金属に大変お詳しい方で、本校の校長という趣旨になっております。 どうぞ楽しくお読み頂ければ幸いです。            渡邊先生から授かりました、スプリング予備校の原本▼
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バインダー1、sp1

復刻 これから、しばらくこの紙面を借りてスプリング予備校を開設することにします。難しい事は正規の 大学に入学してから習うことにしてここは予備校、気楽に勉強して頂ければ結構。とかく予備校といえ ば灰色のムードになりがちですが、その点、わが予備校はその名もスプリングほんわかとした気分のも とで、どんなスタイルでも結構、数分間の授業をお楽しみください。とはいうものの新聞代をいただい ている関係上、まず、最初はガチンと堅いお話から。 ○かたさ比べはこすること かたさと言うと皆さんが思い出すのは、かたい・やわらかいということだろうと思います。いま、A と B とがどちらがかたいかということを比較するには、誰しも考えることですが、A と B とをこすって どちらに、きずが、付くかをおためしなさるだろうと思います。この点、天然に掘出される鉱物を利用 して作ったかたさのモノサシがあります。モースかたさといって、つぎの10種類の代表鉱物を選び、 やわらかいものを1とし、かたいものを10として区分されています。 1、滑石 2、石膏 3、万解石 4、蛍石 5、燐灰石 6、正長石 7、石英 8、黄玉石(トパーズ) 9、鋼玉(コランダム) 10、ダイヤモンド ○金属のかたさはどの位か これだけでは鉱物ばかりで見当付きにくいのは無理も有りません。それでは、われわれが日常使用し ている金属のかたさをこのモノサシで測るとどの位になるでしょう、次に列記してみました。 アルミニウム・金=2.5 銅=3 鉄=3~4 工具鋼=7~8 炭化タングステン合金=9~10 したがって、皆さん方が実用されているスプリングの材料としてはモースかたさで=4~8 位であること が推定されます。参考のために申しますと、ガラスは=4.5~6.5 ですから焼入れした鋼(マルテンサ イトはモースかたさ 7)はガラスにキズをつけることが出来ます。 ○ダイヤを使った試験機 さて、このようにみますとダイヤモンドがこの世の中で一番かたいことがわかります。したがって、 ダイヤモンドにはハイスのバイトも超硬合金といえどもシヤッポ*1を脱がざるを得ないわけです。現在 使用されているかたさ試験機は、このダイヤモンドのかたさを利用して、一定の形状をした圧子で、一 定の荷重で相手の金属にキズを作り、そのキズの大きさを比較する方法がとられています。ビッカース やロックウエルカタサ試験機がこれです。また方法は違いますがショアカタサ試験機もダイヤモンドを 利用しています。これらのカタサ試験機に付いてはおいおいと授業をすることにしましょう。 以上 ※1シャッポを脱ぐ=降参する 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト -2-
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復刻 ○かたさという言葉 かたさの測定法は現在では前述のような試験機によって測定することが出来るようになりましたが、 一般にかたさというとどういうことを表現しているでしょうか。ただダイヤモンドに対する抵抗の大小 を表わすだけでなく、変形しにくい、切れにくい、へたる、磨耗しやすいといわれるような、いわゆる 材料の機械的性質をかたさという言葉で代表させている場合が多いのです。したがって、バネにもバネ カタサという言葉がありますが、今ではその語感からして、いかにも丈夫で弾力性のあるバネが想像さ れるわけです。どうも始めからかたい話になってしまって申しわけありません。 ○女性はなかなか科学的 ところで最近は大変な宝石ブームといわれていますが、世の女性方は昔からどうしたものかかたいも のがお好きなようです。ガラスよりは水晶(石英の一種)水晶よりはダイヤモンドといように、なかな かどうして科学的です。どうもこの頃は女にもてないというお方はどこかやわらか過ぎるからです。ど うかかたい所はあくまでもかたくして人生を楽しく送ってください。 ○四横綱より四天王 前にも申しましたように、かたい・やわらかいという感じや、キズがつく・つかないということだけ では多分に感覚的で一定のモノサシにはなりません。これはまるで酒のよしあしを決めるきき酒のよう なもので、酒ならばともかく、一定の品質を要求され、場合によっては人命を保証しなければならない 工業製品の検査の役にはたちません。そこでなんとかより正確なかたさのモノサシを作ろうとする研究 が、今から約60年以前から開発されてきました。現在主として使われているカタサ試験機を出来上っ た順に並べるとつぎのとおりです。ブリネル・シヨア・ロックウエル・ビッカース。このうちシヨアだ けは反発カタサ試験機で、他の三つは押こみカタサ試験機です。これら四つの試験機は、春夏秋冬休む ことなく働くことは相撲の四横綱以上ですからカタサ試験機の四天王とでもしておきましょう。 ○役目がちがう四天王 それでは四つとも同じ試料のかたさが測定出来るかというとそうでもありません。四天王といえども それぞれ東南西北と守備範囲が決まっています。たとえば同じ押こみカタサ試験機でも、ブリネルだけ はダイヤモンドの圧子を使っておりません。径10ミリの硬い綱球を使っています。したがって焼入し た鋼を測定すると、鋼球の方も変形を起すことになります。そこえゆくとビッカースやロックウエルは ダイヤモンドの圧子を使っているので焼入鋼でも平気の平左衛門です。一例をあげてもこのように違い ます。そして試料によって試験機を使いわけないと、かたさの正しい測定が出来ないばかりか、高価な 試験機を損傷させることになります。 次ページへ続く↓ 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 3 -
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○お稲荷さんとカタサ試験機 さてかたい話が続きますがおたくのカタサ試験機はどこにありますか。素材の受入検査から中間検査、 仕上り検査から研究まで、一手にひきうけて日夜健闘しているカタサ試験機。大げさにいうならば、こ のカタサ試験機による一点の測定値は、商取引に利用され、上は社長さんから、下は一社員の赤ちゃん までの生活をささえているといえるでしょう。したがってどこのばね屋さんに行っても、カタサ試験機 は一番いい部屋を占領しチリひとつない位に点検され、まるでお稲荷さんのようにあがめられているの も無理もない話です。またこのように大事なカタサ試験機ですから、その整備状況をひとめ見ればその 工場の技術水準も知れようというものです。 ○かたさにも JIS がある これほど大事なかたさのことですから、政府でも放っぽっておきません。力タサ試験機・試験法・基 準片の国家規格をがっちりと JIS に決めています。決められていることは知っていても、案外読んでお られないのではないでしょうか。そこで、まだ読んでおられない方は JIS を読ん頂くとして、本予備校 では忙しいみなさんのために、ほんのさわりだけを解説することにします。それでは最初に一番大きな 圧痕を作るブリネル試験機について勉強しましょう。 ○ブリネルさんが泣いている まずこのカタサ試験機を使って、つぎのような試験法をしていませんか。わが社に限ってそんな間違 いはないと言う前に、つぎのことを読んでおたくの試験機の前に5分間立ってみて下さい。 イ、HB450以上のかたい試料を測定していませんか。 ロ、圧子の鋼球が使い過ぎによって、真球でなくなったり、磨耗したりして使用限度をこしてはいませ んか。 ハ、荷重の保持時間が10秒以内で試験をしていませんか。 ニ、試料の測定をしてはいけないところを知らずに測定してはいませんか。 ホ、測定面の研削丌良のためクボミの直径が正確に読み取れない。そのため測定を省略してしまっては いませんか。 いよいよ次回から、さわりに入ってまいりますが、5分間試験機の前に立った結果、それまで待って おれないという方は、ぜひ自習をしておいて下さい。なにしろ生活がかかっていることですから。 今日はここまで。 以上 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 4 -
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復刻 カタサ試験機は主としてばねの大きさによって使いわけられています。 ○包丁がいろいろあるわけ ブリネル・・板ばねやコイルばねのうち比較的大形のものに用います。 ビッカースとロックウエル・・薄板ばねや線ばねのような中小形のものに用いられ、また焼入深さや 脱炭深さ等を測定するのにも便利です。 シヨア・・大形から中形のばねで表面を仕上加工したものに用いられますが、前三者と比べ凹痕がつかないの が特徴です。 どうか出刃包丁で泥鰌をさいたり、刺身匂丁で鮭の頭を切ったりしないようにうまく使い分けて下さい。それで は今回は押しこみカタサ試験機のうち、ブリネルについて勉独しましょう。ブリネルを覚えておけば、ビッカースもロ ックウエルも同じようなものですから注意するところは似たようなものです。 ○ピカ・ドンは大嫌い どんな試験機でもそうですが、試験機は十分に安定性のある強固な基礎台に据付けておかなければなりませ ん。特に現場で使用するときは振動に対して注意しましょう。負荷中に強い振動の伝った時は当然その測定値 は捨てるべきです。また常時振動のある場所にある場合は、振動源のあるときとないときのカタサ試験を行って、 両者の測定値に差がある場合は、据付場所を変更する英断が必要です。 ○タマは大切に パチンコの玉は 11 ミリで材質も種々雑多な物ですが、ブリネルの圧子に使用する鋼球はひとまわり小さい 10 ミ リで玉軸受用鋼球(JIS 1501 に準ず)を使用しています。直径の許容差は 0.01 ミリ、そのかたさも球面カタサ・ロッ クウエル 60~64 に決められています。現在御使用中の鋼球の荷重を加えた方向とこれに直角方向との球径を 測り、その差が 0.01 ミリを超えている場合は、早速とり変えて下さい。 ○かたいものは赤信号 適用範囲は HB450 までです。すなわち圧痕径で 2.90 ミリ以下のものは原則として測定してはいけません。ば ねはちょうどこの位になる恐れがありますから注意して下さい。原則としてと申しあげましたのは、超硬合金鋼球 を使用した場合はHB600 まで測定できるからです。450位を測定するチャンスが多い場合は超硬鋼球と取換え ておいたほうが安全です。 ○試験面のお化粧は 試験面は平面が原則ですが、その平面度はクボミの直径を測定するとき 0.01 ミリまで容易に見分けられる程 度に仕上げなければなりません。 次ページへ続く↓ 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 5 -
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-資料のバストは- 資料の厚さはクボミの深さのおよそ 10 倍以上、幅はクボミの直径の約 5 倍以上必要です。たとえぱ、軟鋼では 8 ミリ厚、30 ミリ以上の幅の資料が最小寸法と成ります。軟鋼より硬いばねはこの寸法なら充分なわけです。またか たさを測定する中心位置は、すでにあるクボミの中心から 4×D度以上、また試料のふちから 2.5×D以上(Dは クボミの径)必要です。 ○短気は損気 荷重は試験面に垂直に加え衝撃をともなうことなく徐々に増加し、規定の大きさに保つ時間は 30 秒とされて いますが、一般に鉄鋼の場合は 15秒でよいとされています。もし、保持時間が 10秒以内の場合は、明瞭に測定 値に誤差を生じますから、この保持時間は正確に守ってください。一例を申しますと、15秒でクボミの径が 3.30ミ リのものは 10秒では 3.25、5秒では 3.18 ミリで、一方時間の長い方は 30秒でも1分でも 15秒と変わりありませ ん。以上のことを注意して測定すればこのカタサ試験機の誤差は 2%以内です。 ○右えナラエ! ビッカースとロックウエルはいずれもダイヤモンド圧子を使用しています。かたければモロイは世の常、圧子に は衝撃や曲げを与えないようにしましよう。またこれらの試験面はブリネル以上に仕上げなければなりませんし、 特にロックウエルの場合は試料の裏面も平面であることが要求されます。またロックウエルは曲面を測定すること がありますが、この場合は曲面を測定したことを明記して、あとで問題が起らないようにしましょう。他の注意事項 はブリネルと大体同じです。 今日はここまで。 以上 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 6 -
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復刻 今日は最後に残ったショアカタサ試験機の勉強をしましょう。 ○変っている測定方式 このカタサ試験機は反発式といって、今までの押こみカタサ試験機と比べると全く変っています。反 発式というのは、ゴルフのボールを床に落とすとはね返りますが、床の種類、たとえば床の上にタオル を一枚ひくとそのはね返り高さが変わります。すなわち一定の高さからボールを落とした場合、硬い床 ならば高く、軟い床ならば低くはね返ります。このような原理を応用したのがショア試験機です。ただ し前回述ましたように、ゴルフのボールの代役をするのはダイヤモンド・ハンマです。 ○ビッカースの弟分 この試験機の最大の特徴はカタサ基準片を介して行う比較測定であるということです。すなわち、カ タサ基準片のカタサはビッカースカタサを基準として決められており、ダイヤモンド・ハンマの跳上り 高さは、このカタサ基準片により、ショア試験機の指示目盛に合致するように製作されたものです。い うなれば水銀寒暖計の水銀の役目をするのがダイヤモンド・ハンマで、零度とか百度とかを決める氷や 沸騰水の役目をするのがカタサ基準片です。したがってショアカタサの測定はビッカースカタサを基準 とした測定であることと、基準片が重要な役割をはたしていることが判って頂けたと思います。 ○圧痕が残らない利点 ばねのカタサ測定にショアを使用する例は珍らしいと思いますが、押こみカサタと異って圧痕を残さ ない利点や携帯出来る便利さがあるので、今でも仕上加工をしたばねや押こみカタサ試験機にセット出 来ない大形ばねのカタサ測定にしばしば使用されています。それではショアカタサ測定上の注意事頄を 一つだけ申しましょう。試験片が平面であることは他のカタサ試験でも同じですが、特にショアの場合 は硬いものほど一層平滑に仕上げないとかたさが小さく測定されます。参考のために測定値に変化をお よぼす試料の表面あらさの限界は大略つぎのとおり。 HS80 の場倉は 1.5S HS60-50 の場合は 6-12S。 理由はゴルフのボールが芝のよしあしによってはね返り方が違うのと同じです。さて以上でながながと 続いたカタサのお話を終ります。 ○温故知新 かたさの勉強を真先にとりあげたのは、ばねにとってかたさは重要な検査頄目であることは申すまで もありませんが、日本のばね工業、いわゆるばね屋さんが専門業として発達したのが、カタサ試験機の 発明されたのとほぼ同時期であることに大変興味をひいたからです。 次ページへ続く↓ 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 7 -
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これまで勉強した四つのカタサ試験機のうち、一番古いブリネルは 1900 年(明治 33 年)、新しいビッ カースは 1925 年(大正 14 年)に発明されています。これからも判りますように、ばね工業誕生の頃はカ タサ試験機もなく、いかに先輩が一コのばねを製作するのに苦労したかが伺われる次第です。それでは 本予備校の性格上大学で教わる前に「日本ばね工業意外史」についてしばらく授業を進めましょう。 ○ばねは馬車から 記禄によると、刀や鉄砲を作っていた鍛冶屋が明治初年に馬車を造り始めて、だんだんばねに入って いったことになっています。したがって今から約百年前になるわけです。ついでに馬車のお話をします と、馬車は有史以前からありますが、絵本で見られる王様が乗るような立派な馬車に改良されたのは十 六世紀頃からです。さらに鋼製のばねをとり入れたのは 1670 年とされ、王様もさぞかし乗心地がよく なったことだろうと思います。しかしお喜びは王様だけでなく、ばねによってスピード・アップされた 馬車は、数年後には英国で最初の駅馬車となって庶民の交通機関の発祥となっています。最初の馬車ば ねは今日の板ばねやコイルばねのようなものでなく、弓形のばねの両端を車軸に固定し、その中央に車 台を置いたものです。さて、この馬車にヒントを得て考案したのがわが国の大発明である人力車です。 こうしてみるとばねの発達は馬車から、すなわち交通機関ときってもきれない関係があることがお判り と思います。 今日はここまで。 以上 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 8 -
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復刻 日本のばね工業の誕生は馬車ばねからという話を前回いたしましたが、明冶から約百年たった今日で も、ばね屋さんは馬車の変態である自動車でメシを喰っていることを考えると馬車にも感謝しなければ なりません。 ○人力車も一役 ではそれほど日本のばね工業に役立った馬車は何時頃から日本に来たのでしょうか。記録によると 1869 年(明治 2 年)に京浜地帯で乗合馬車として営業開始され、ついで明治 7 年には東京でも営業され ています。この乗合馬車数は明治 8 年には 319 台しかなかったものがそれから 38 年後の日露戦争頃に は 6631 台に増えていますからたいしたものです。またこの馬車にヒントを得て作った人力車も、明治 3 年には営業を開始、さらに明治 8 年には改良を加え、その後スプリングをとりつけて外国にまで輸出さ れるようになりました。この間 1872 年(明治 5 年)には鉄道開通、10 年後の明治 15 年には都電の前身で ある鉄道馬車の開通とわが国のばね工業発展の基礎が着々と整っていったわけです。現在はなばなしく 輸出されてるばねも、その第 1 号は人力車についていたばねだったわけですから、人力車もばね工業界 にとっては恩人ともいえるわけです。 ○鍛冶屋さん大奮闘 当時のばねはどうして作ったでしょうか。これはあまり記録がないので判りませんが伝へられるとこ ろによると、人力車のばねは軟鋼をハンマでたたいて硬化させて作ったそうですが、馬車用のばねはさ すがに焼入して強化していたようです。また明治中期においてさえも鉄道ばねの修理や新製には機械は 全く無く手打ちでやったそうで、ばね板の反りは箸ではさんでつけ、焼入炉は石で積み、コークスを使 って加熱、焼入は刀の焼入のように周囲を暗くして 30~40 度の湯に入れていたそうです。熱処理とい えば日本刀の熱処理しか知らぬ悲しさ、現在のようなばねモドシを知らず折れて困ったことが伝わって います。また一方薄板ばねなども輸入棉花の帯金を使ったという話もありますから、当時は材料的にも 技術的にも色々と苦心されたことと思います。 ○関連産業もどんどん進歩 しかしこの間にも日本の産業革命は一刻も休まず進んでいます。1889 年(明治 22 年)には国鉄の東 海道線全線開通、翌年には電車が輸入され、やがて市街電車が大都市を走り始めます。また車両会社が 創立されたのもこの年です。1893 年(明治 26 年)には国産一号機関車が組立てられています。車両工業 以外でも工作機械工業が明治 22 年に創業、時計工業も 25 年に発足、また 29 年には自転車の国産一号 が誕生、明治 30 年にはワイヤロープの製造開始、翌 31 年に常陸丸建造、また明治以前から出発した紡 織や印刷業も明治 30 年代には目覚しい進歩をとげてきました。1900 年やっとブリネルカタサ試験機が スウェーデンで発明されました。明治 33 年です。翌年には官営八幡製鉄所が創立され、すぐレールを 作り出しました。 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 9 -
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明治 35 年には早々と日本にも自家用自動車が現われてきました。ショアカタサ試験機がアメリ力で発 明されました。明治 39 年、1906 年の事です。さらに明治 44 年にはわが国最初の自動車工業である快 進社が創立されています。ぼつぼつとばね工業も鍛冶屋さんから脱皮せざるを得なくなったのもこの頃 です。やがて材料も国産化されますが大正になってからです。 ○ばね工業の近代化 明治 42 年に新橋鉄道工場(大井工場の前身)で英人技師の指導で、焼入後油をばね板に塗って加熱炉に 入れ、油が燃えきる時取出すという焼もどしを習い、ばね板が折れなくなったという記録があります。 また大正 2 年には海軍の大砲の推進ばねを油焼入した記録もあり、このごろから水焼入から油焼入に変 ってきたものと想像されます。明治 37 年に創立された東京スプリング(三菱製鋼ばね事業部の前身)は 当時の巻ばね加工はロクロであったそうです。明治 39 年には大阪造兵廠で米国製コイリングマシンを 購入、つづいて明治 44 年、東京スプリングで米国製のコイリングマシンや転回式ガスもどし炉を輸入 してからはやっとばね工業も専門化し機械化してきたといえます。というのも無理はありません。海の 向うのアメリカでは 1910 年(明治 43 年)ごろからすでに自動車工業が発展していたのです。 今日はここまで。 以上 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 10 -
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復刻 前回は明治末期にばね工業界が近代化し、他の関連産業も目覚ましい進歩をとげたことをお話しまし たが、続いて大正前期の発展過程を勉強しましょう。 ○各種試験機勢揃い 明治末期には印刷機械屋さんがばねをまいていて、ばね屋さんが注文をとりにゆくとおれ達にもばね はまけるんだと威張っておったという話がありますが。それというのも当時のばねの製造は秘中の秘で、 これがよいといっても調査の方法がなかったからだと思われます。大正に入りますと、かの第一次世界 大戦(1914~1918 年)が始まり、輸入が思うようにいかなかったためにかえって国産品採用の方針がうち 出されました。たとえば大正 3 年に国鉄は、始めての国産車両用ばねを東京スプリングに発注し、やが て 5 年後の大正 8 年になると同社(6 年に東京鋼材となる)は鉄道ばねを全部国産化するまでに至ってい ます。この間大正 5 年には日本精工が創業、いよいよベアリングも国産化することになります。このよ うに国産化すると同時に、大正になりますと鋼材やばねの規格や仕様書が制定されました。これは非常 に画期的なことで、規格や仕様書が決まると試験や研究が進み、次第に進歩をする第一段階が築かれた わけです。したがってこの時代にはテーパー口ール・カービングロール・アイパックマシン・線ばね用 の自動焼入機等を始め新鋭機械が輸入され、また荷重試験や待望のプリネルカタサ試験機も入手されま した。プリネルが東京鋼機には入ったのは 1920 年(大正 9 年)発明されてからちょうど二十年目に当 たります。参考のために申しますと当所は明治 40 年に創立されましたが、大正 5 年の報告類を調べま すとブリネルカタサ試験機と金属顕微鏡がそろっています。 ○面白い当時の仕様書 そのころの仕様書の一部を紹介しましょう。面白いことには、当時は仕様書を任様書といっています。 つかえるでなく、まかせるです。用宇も片仮名で濁点のないところにご注意下さい。 1、材質 スプリング用硬鋼ハ其ノ質強靭等質ニシテ表面ハ綺麗ニ圧延セラレ何等ノ欠点ヲ有スルヘカ ラス。燐及硫黄ノ含有量ハ各〇.〇四五%以下ニシテ焼入ニ適スルモノタルヘシ。 1、試験 スプリング用硬鋼ハ左記ノ試験ニ合格スルモノタルヘシ。 イ、抗張力八七〇瓩平方耗以上、延伸率ハ一〇%以上ニシテ抗張力ト延伸率ノ二倍トノ和ハ八 九五以上タルヘシ。抗張試験庁ノ仕上寸法ハ基一〇八号図面ニ依ルヘシ、抗張試験片ハ加 熱又ハ焼入ヲナサスシテ試験ヲ行フヘシ。・・・ 以下略 これは大正 4 年制定の国鉄の「ヘリカルスプリング」の冒頭の一章です。もちろん当時の文章は縦書で すので、この新聞を読んだ感じそのままです。いかがでしょう。なつかしいと思われる方もおられるで しょうし、どうも読みにくいという方もおられることと思います。これも時代の変遷で止むを得ないこ とです。 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 11 -
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○ばね工場は名人だらけ 大学や研究機関には各種の試験機がいち早く設置されたようですが、カタサ試験機がないころのかた さはどうして測定していたでしょうか。記録によりますと、ニポンドハンマでばね機をたたいて推定 していたが、たたき方で変るので困ったとされています。多分、たたいた時の音、手ごたえ、打痕等の 感じで焼割れの有無や硬軟を推定していたものと思われます。大正五年の国鉄大宮工場のばねの熱処理 作業はつぎのようでした。材料は 0.7%以下の炭素鋼、炉は石炭を用いた反射炉、820~840 度に加熱、 材料が炉温と同じくなったら取出してしばらく空冷、焼入温度になったら 35 度の水に焼入、焼もどし は同一炉を使用、ただしばね板に重油を塗布し、油の燃えつきる寸前に取出すということになっていま す。当時のことですから工場には温度計もカタサ試験機もありません。おそらく名人がいて、その目分 量ひとつで、このような高等技術を行なっていたものと考えられます。それでもさしたる事故がなかっ たからたいしたものです。このような苦心談もありましたが、なんといっても大正前期のばね工業は大 躍進をとげました。 今日ここまで。 以上 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 12 -
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復刻 前回は大正前期において、ばね材料の国産化を始め、各種の製造設備や試験機類が整備されて一大躍 進をとげた話をいたしましたが、今回はひきつづき大正後期について講義いたしましょう。 ○自動車ばね登場 大正前期にはほぼ鉄道幹線は建設され、大都会には市街電車が運転されていたとはいえ、まだまだ円 太郎馬車※1や人力車の時代でした。この頃急速に伸びてきた乗物が自転車と自動車です。しかし自転車 はともかくとして自動車はまだまだ特権階級の乗物で、今日のような猫も杓子もというわけにはまいり ません。しかし、乗物が変わればばねが変わるのは必定で、ばね屋さんも自動車ばねを作らざるを得な くなりました。ばねを作るといっても、当時の日本の自動車工業界はまだ産声をあげたばかりですから、 悪路ニッポンに破壊された舶来自動車のばねの補修品が出たというのが正しでしょう。わが国最初の自 動車工場快進社のことは前述しましたが、大正 7 年には東京瓦斯電気工業と石川島造船が自動車製造に 名乗りをあげました。これには軍の援助が大分あったようです。記録によりますと、大正5年頃から自 動車の補修用ばねがぼつぼつ現われ、大正 11 年になると急激に増加したとされております。やがてこ の自動車が、明治以来の円太郎馬車や人力車を駆逐する結果となりますが、さらにこの傾向を一層早め たのが大正 12 年の関東大震災です。 ○大震災と自動車の大進出 この大震災は、日本の文化に種々の影響を与えたことはご承知のとおりですが、なかでも自動車工業 界に大異変を起こしました。というのは復興資材の輸送の必要から、廉価で納期の短いアメリカからト ラックを大量に買いつけて大被害をこうむった鉄道や電車の穴をうめさせたからです。このトラックが 日本中を駈けめぐって首都復興に役立ったのですから、この影響は無視するわけにはまいりません。自 動車は特権階級の乗物であるというそれまでの社会通念は一変し、自家用車中心から営業車中心に、ヨ ーロッパ車中心からアメリカ車中心に移り変わったわけです。そのあらわれとして、翌大正 13 年には 早くも東京、大阪に市バスが登場しました。さらにその翌年の大正 14 年には日本フオード社が、翌々 年の昭和 2 年には日本ゼネラルモーター社がそれぞれ横浜と大阪に進出してコンベア・システムによる 自動車工業が始めて日本で創業されるに至るわけです。したがって、大正後期における自動車の目覚し い進出はそれまでどちらかといえば、車両ばね一辺倒だったばね工業界に体質改新を迫ったものといえ るでしょう。 ○本格的なばねの研究 このような背景のもとで、大正後期はどのような進歩をとげたでしょうか。東京鋼材では大正 8 年、 当時のわが国のばね材の需要量の 5 割、200~250 トンを月産していましたが、4 年後の大正 12 年には 月産 400 トンというように着々と増産しております。一方材料の種類も、自動車ばねや満鉄のばねの補 修の関係で、それまでの炭素鋼だけでなくシリコン・マンガン鋼系も取り扱うようになりました。 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 13 -
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国鉄でも大正 14 年にシリコン・マンガン鋼(大同製鋼材)を始めて使用した記録が残っております。 また研究が進んだ結果、国鉄では大正 14 年に板ばねと巻ばねの材料を始めて分離しコイルばねにはよ り高炭素鋼のものを使用する規格が出来ました。硬鋼線種による高級線ばねの製造もこの頃から盛んに なりました。もちろん、当時は国産品に良いのがなく、主としてドイツから輸入していました。このよ うに材料だけみても大変な発展をしていますが、ばねの設計や製造技術もそれにつれて進歩してまいり ました。大正 12 年には東京鋼材の服部氏がばねの設計・製造の専門書を発行されました。国鉄の池田 氏は大正 15 年に電気抵抗の変化による材料の簡易破れ限度測定法を発表され当時国鉄工場で行なわれ ていたばねの熱処理法の相異による疲れ強度の比較研究に応用されています。考えますと大正後期は、 ばねの研究が本格化した時代といえると思います。 今日はここまで。 以上 ※1円太郎馬車=乗合馬車のこと 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 14 -
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復刻 前回は大正後期における自動車の進出とばね工業の発展について勉強しました。さてこれから昭和期 に入るわけですが、大正後期に二つの新しいカタサ試験機が発明されていますが、前に省略したところ なので、今回ここで説明します。 ○ロックウエルの発明 ブリネルは 1900 年、つづいて 6 年遅れてショアカタサ試験機が発明された話は前にいたしましたが、 しばらく遅れて 1919 年(大正 8 年)ロックウエル、また 6 年遅れて 1925 年(大正 14 年)にビッカースか 発明されました。こうしてみますと、ブリネルとショアは明治後期、ロックウエルとビッカースは大正 後期に誕生したことになります。1910 年から 1920 年ころにかけて、米国では自動車工業の大量生産方 式が発達しましたことは前にも少し述べましたが、必然的に生産工程中の検査や完成品の検査にとって カタサ試験の重要性が増してきました。しかし、それまで発明されていたブリネルは大きな凹痕が残る ので完成品には用いられず、また硬いものには用いられない丌便さがありました。一方ショアは測定に 熟練を要し、とかく個人差が入りやすい欠点があります。このようなとき、米国で軸受レースのカタサ 試験のため発明されたのがロックウエルです。その後、試験機は実用的に改良されて市場に売出され、 今日のように広く利用されるようになりました。 ○ビッカースの発明 またビッカースは英国で発明されたものですが、始めは浸炭や室化等の表面処理の研究用として用い られたものです。しかし使用してみると、軟かい材料から硬い材料まで連続して同一尺度で測れること や均一な材料ならば加えられた荷重の大小に無関係に一定のかたさが得られる等の便利さがあるため、 その後広く一般工業試験に採用されるようになったものです。それでは、つぎに両者の特徴を簡単に説 明しましょう。 ○両試験機の特徴 ロックウエルは圧子と荷重の組合せで硬軟いずれの材料でも試験できますが、ここではそのうち最も 代表的なCスケールについて説明します。試験機のダイヤモンド圧子はその用錐頂角が 120 度で先端 に半径 0.2 ミリの丸みがついています。基準荷重は 10 キロ、試験荷重は 150 キログラムです。試験は まず基準荷重を加えてセットし、つぎに試験荷重となし、再び基準荷重にもどしたとき、前後 2 回の 基準荷重におけるくぼみの深さの差からかたさの数値を求めます。ダイヤルの一周による深さは 0.2 ミリ、それを百等分してありますから、ダイヤルの一目盛は 0.002 ミリとなります。ややっこしいこ とを申しましたが、要するに基準荷重時に示針を正確に百に合わせておけば、最後の針のもどった位 置がかたさの数値となります。もちろん、硬いものはくぼみの深さが浅いので大きな数値となり、軟 かいものは反対に小さな数値になります。試料が平面であるときは問題ありませんが、曲面のときは 前にも申しましたように注意して下さい。 www.accurate.jp customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 15 -
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すなわち、凸曲面のときはかたさが低く示され、凹曲面のときは反対に高いかたさ数値になります。こ の誤差の傾向は試料の曲率が小さいほど、かたさが低いほど真の値から離れてまいります。ビッカース は対面角 136 度の四角錐圧子で荷重は 1~50 キログラムを用います。測定法はブリネルとほぼ同様にし てくぼみの対角線距離を測りますが、圧痕が小さいので計測顕微鏡で読み取ります。ブリネルとビッカ ースのかたさ数値が似ているのは、圧子の対面角をそのように工夫して作ったからです。すなわち、ブ リネルの実用範囲のくぼみの中間値、0.375 ミリ(D=10 ミリとす)の直径をもった接触円の直径の両端にお いて引いた接線の交角がほぼ 136 度になるためです。もともと表面処理をした場合のかたさ測定を測る ためのものですから、逆に脱炭した場合の調査にも大変便利です。ビッカースの荷重をだんだん大きく してゆくと、かたさも大きくなるような場合がありますがこれは試料の表面が脱炭しているからです。 以上、どちらもより精密なカタサ試験機ですから、その取扱いは、より丁寧に扱う様にしてください。 今日はここまで。 以上 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 16 -
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復刻 前回は新形カタサ試験機のお話で道草を喰いましたが、いよいよばねの歴史も昭和期に入ることにな りました。昭和期はごく近世のことですから、みなさんご承知のことが多々あることと思いますので駈 足で勉強しましょう。 ○自動車工業の推移 ばね工業は大正後期の発達をうけついで、益々隆盛するわけですが、なんといってもこれに貢献した のは自動車と飛行機なので今回はこの話を中心に勉強します。大正末期から昭和初期にかけてアメリカ 系の自動車工業が進出したことは前に述べましたが、これに刺激されて日本でも既設の三社(快進社・石 川島造船・東京ガス電気)が本格的に生産にのり出しました。とは申しましても、昭和5年の両者の供給 台数はアメリカ系二社の 36375 台に対して、日本の三社は 437 台ということになっています。また、国 産自動車ばねの注文が昭和 7 年ごろから多くなった記録がありますが、このころにはカーメーカーも増 加し三菱神戸造船(ふそう)川崎車両(六甲)日本車両(熱田)等が新しく名乗りを上げてまいりまし た。昭和7年の国産自動車の生産実績は、普通車 696 台・小型四輪車 184 台・三輪車 1511 台となって います。特徴として三輪車がこの後も急激に伸びますが、わが国の国力や道路事情によくマッチしたた めと思われます。話は前後しますが、このころから国際情勢が次第に悪化し、ついに満州事変(昭和六年 九月)から、やがて第二次世界大戦に至るわけです。ここの満州事変の経験は、陸軍に国産自動車工業の 確立の必要を痛感させました。この頃から政府は、アメリカ系の会社の生産を圧迫し、ついに 1939 年 (昭和 14 年)には製造停止に追いやるわけですが、反面、国産メーカーを援助し、1936 年(昭和 11 年)にトヨタ・ニッサンが創立され、つづいて大正期かから創業されていた前記三社が、1941 年(昭和 16 年)に合併してヂーゼル自動車工業(現いすず)になるわけです。ここにおよんで、やっと今日の自 動車工業の大半がみられるようになりました。終戦後の一時期の休業から今日の自動車工業の盛業は、 みなさんご存知のとおりですので省略いたします。 ○航空機工業の推移 自動車とならんで航空機工業が発達したのも大体自動車工業と同じ経路をたどりますが、ばね工業と 大いに関連がありますので、これも予備校らしく駈足で勉強しましょう。明治末期に飛行記は輸入され ておりますが、大正時代は外国から製造権を購入して製作するという模倣期でした。昭和5年になっ て、やっとみずから設計・製造する自立時代に入りましたが、この後の発達の事情は全く自動車工業と 同じで、陸海軍の積極的な助成によって急速に発達したものです。このため、1940 年(昭和 15 年)頃に は世界的な性能の飛行機が国産され、また第二次大戦の末期、1944 年には年間 24000 台の飛行機が生 産され、質量ともに世界水準に達しました。しかし、終戦により壊滅し、今日に至っていることはよく ご承知のとおりです。 www.accurate.jp customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 17 -
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○戦争とばね工業 昔から、戦争があると兵器が大量に需要され、また新兵機の発明開発等もさかんになり、当然の結果 として、工業技術全般のレベルが上昇します。日本も第二次世界大戦のお陰で、前述の自動車や飛行機 だけでなく、小は歩兵銃から大は戦艦の大砲に至るまでの銃砲等の兵器工業をはじめ、車両・造船・機 械等の工業も異常な発達をとげたわけです。ばね工業も、この間、これら関連産業の大量需要によく応 えて活躍したことはご存知のとおりで、そのため、現在の機械設備による近代工業としての基盤が出来 上がったといってもよいでしょう。ちなみに昭和初期かち昭和16年ころにかけて、ばね会社はぞくぞ くと誕生しており、現在活躍している大小のばね会社の前身や母体となっています。今回の昭和期に入 る前に、昭和期の背景となる自動車と航空機工業を中心に、その発達の推移を簡単に述べましたが、次 回からまたばね技術史に入りたいと思います。 今日はここまで。 以上 株式会社アキュレイト 渡邊 信一 うぇぶさいと www.accurate.jp 電子手紙 customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 18 -
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復刻 前回は昭和期のばね工業の背景になる自動車と飛行機工業について勉強しましたが、ひきつづいて今 回は昭和期のばね工業について授業いたしましょう。 ○各種規格の制定 昭和期の特徴として、とりあげなければならないことは各種規格や仕様書の制定です。この様に規 類格が制定されることは、工業製品に対する研究が進んだ証拠といえるでしょう。たとえば日本国有鉄道 についていえば、昭和 3 年に車両バネ用炭素鋼材・綱針金バネ腰掛布団バネ・バネ用燐青銅の針金およ び板、または昭和 5 年にはバネ用硬引鋼線、つづいて翌6年には板バネ・鋼線バネ等の仕様書が制定さ れました。もちろん、このころから発達してきた陸海軍の自動車や航空機用の規格が制定されだしたの もこの時代からです。そしてこれらの規格類が、やがて日本標準規格から現在の日本工業規格に発展し てゆくわけです。それでは小々横道にそれるが、ここで現在まで施行されている日本工業規格までの経 路をたどってみるのも無駄ではないと思いますので、予備校の精神に基づいて簡単にお話します。 ○JES から JIS まで 日本では日露戦争寸前ごろから陸海軍で用いる材料の一部に規格が設けられていましたが、明治 38 年には全国的にポルトランド・セメントの試験規格が統一されました。大正期になりますと、大正 10 年に商工省に工業品規格統一調査会が設置され工業製品の全般的な規格設定、統一の仕事がはじめられ ました。この調査にもとづいて、昭和 8 年に日本標準規格(JES)が公布されました。この規格は昭和 18 年までつづきましたが、この年戦時中の同盟国であるドイツの規格などを参考にして規格の改定が行 われ、臨時日本標準規格(臨 JES)となりました。これはいわゆる戦時規格で終戦の昭和 20 年までつづ きました。つづいて終戦後、工案標準調査会と商品標準化委員会が設置され、日本規格(新 JES)が制 定されましたが、昭和 24 年に制定された工業標準化法にもとづいて、日本工業規格(JIS)として統一さ れ、今日におよんでいることは皆さんご存知のとおりです。 ○ばね用鋼の変遷 それでは皆さんに最もお馴みの深いばね鋼が、どのようにして誕生し、その後どのように推移してい ったか、JES 制定以来の変遷をたどってみることにいたしましょう。ばね鋼材の JES が制定された のは、昭和 11 年で、制定当時は第一種から第十種までの十種類でしたが、もちろん、最初の規格で すから、陸海軍をはじめ国鉄や満鉄の規格の寄せ集め的な規格であったのはやむをえません。しか し、それまでの材料規烙は焼なまし材の強度しか指定してないのが大部分でしたが、この規格には、 初めて熱処理後の性質が指定され、大変便利なところが多かったようです。その後、制定時になかっ たばね鋼の鋼種記号が昭和 13 年に SP と決定しました。しかし翌年には SP1・4・8・10 が消滅し ました。成分的に申しますと、SP1 から 5 までは炭素鋼系、SP6 から 8 まではシリコン・マンガ ン鋼系、SP9 はシリコン・クロム綱系、SP10 はクロム鋼系でした。 (次ページに続く) www.accurate.jp customer@accurate.jp ※ 本文は昭和41年から44年頃にかけ、新聞に掲載された記事の抜粋で、工業規格や技術用語などはオリジナルのまま掲載してお ります。その為現在の規格と異なる表記がございます。また、一部表現描写が現代にそぐわないと感じられるかもしれませんが、 オリジナリティを尊重しまして、原文ママで掲載しております。あわせてご了承願います。 ※ 本文をご紹介頂ける場合は出典元を明らかにして下さい。 出典元:株式会社アキュレイト - 19 -